その後の音楽活動

DSCF0299そしてその後。今思うと20代に比べると30代はいろいろ転換期でした。

なんだろう、上手く言えないけど、今までの路線では突っ走れない感じ。バンドも続けていたけど、なんだか上手くいかないしメンバーも不満そうだし^^ アルバムを作ろうとがんばって曲書いたけど違和感がすごくあって。すでに過去の再生産みたいになってたのかもしれない。

その頃にバリとの再会がありました。久々に行ってみたら(最初に行ったのは26歳のとき)、なんだかすごくしっくり来たんです。それまで僕は南指向なんてなくて、むしろ逆だったですから、ちょっと驚きました。

ガムランのことはもちろん知っていたけど、音楽的な嗜好の範囲ではなかった。エキゾチシズムのひとつではあったけど、自分でやろうとは全く思わなくて。むしろバリ島にある空気感の方が重要で、上手く言えないけど今までと違う空間とか時間の過ごし方を経験したというのかな、そういうのが大きかったと思います。

でもそこでそれまで手をつけなかったガムランベースのインストゥルメンタルをやってみた。今でもその時の感触は思い返せるんですけど、すごくすんなりできて、それが心象にぴたりとはまった。以前のブログに書きましたね。

Lizard’s Dream by Kyoichiro Kawamoto

こんなんとかね。

そこで「これで歌やらなくてすむ」って思ったんです。同時にロックとかポップという縛りが消えて、いわゆる3ピース(ドラム、ベース、ギター)という縛りも消えた。これがけっこう気持ちよかった。

その頃かな、音楽の仕事が来初めて、ローカルのCMとかビデオのBGMとかそんなのでしたけど、やってみるとけっこう面白かったんです。自分以外の目的のために曲を書くってやったことなかったから、最初はできないと思ってたんだけど、割とすんなりできた。自分の世界じゃなくて他人の世界だから、ジャッジが楽なせいかもしれない。ダメだったらダメ、OKだったらOK、それだけだから悩みがない。

これは山科にある某ケーキ屋さんのCMのために書いた曲。歌ってくれたのは成瀬友子ちゃんっていうディレクターの紹介で知り合ったボーカリスト。

From the Rhone River by Kyoichiro Kawamoto

そんなことで、作品としてはヒーリング的なインストゥルメンタルに、その対極で商業音楽がある、みたいなそんな感じの世界に変わっていきました。バンド的な音楽というのはいつの間にか消えていきましたね。もともとバンドって僕にとって「再生装置にすぎない」という、バンドやってる人からしたら激怒されそうな認識でしかないから、なくなっても全然平気でした。

制作環境が完全にコンピュータベースに移行したのも大きいです。音質が上がったのも良かったですが、とにかく便利になった。特に商業音楽だと尺があるでしょう、それにコンマ1秒で合わさないといけない。そしてそれをmp3で書き出してすぐディレクターにメールで送らないといけない。音量のノーマライズも当然。そんなの普通のレコーダだったらめちゃくちゃ手間ですよ。

各楽器の音も良くなって、やろうと思えば何トラックでも重ねられるし、ボーカルやよほどリアルな生音が必要でなければコンピュータだけで済んでしまう。昔からひとりでやって来た身にとってはようやく理想的な環境になったということですね。
ということでますます人から遠ざかり・・・というのがデメリットですが^^

そんなこんなで音楽業界も全体の売り上げが落ちて行くと同時に、インディーズによる配信というのが楽になってきて、僕みたいなやり方をしている人でも簡単にCDなりデータを売れるようになった。

このあたりでアルバムを作って売ってはどうか、という発想に行き着き、今に至るわけですが、配信のお話はまた次回にでも。