抽象化の行き先/【本】音楽は自由にする

音楽は自由にする

まだ最新作は聴いてませんが、評判はよろしいようで。以下、以前に書いたレビューの再録です。

これは生まれたときから現在までのいろいろなお話。まあいろいろな裏話が入っているので、ファンであれば買いだと思います。戦メリをやって、ベルトリッチの出会いからオスカーを取った時あたりの話がなかなか面白いです。

坂本龍一という人はどの時代においても一定の「はまらなさ」があると思います。ジャンルが特定できない音楽性。ふつう、そういう人は目立たないもんだけど^^ やっぱりサントラとかオリンピックとかのせいなんですかね。でも僕はやはりそのちょっと異端な感覚が好きな所以だったりします。たぶん、今こういう人が出てきても今の時代にあっては恐らく埋没してしまうでしょう。

僕が気になったのは以下。

「たとえば今、レバノンで戦争をしていますが、あるレバノン人の青年が空爆で愛する妹を失ってしまう。その青年が悲痛な思いを音楽にする。でもそれは彼が音楽にしている時点でどうしても音楽の世界のことになってしまって妹の死そのものからは遠ざかってしまう」

「ただその一方で妹の死は青年の記憶がなくなることで歴史の闇に葬られてしまう。でも歌になることで民族や世代の共有物として残って行く可能性がある」

「表現は他者が理解できる形、共有できる形でしか成立しない。だから抽象化が必要。個人的な体験や喜びは抜け落ちて行かざるを得ない。そこにはどうにもならない欠損感がある。でもそういう限界と引き換えにまったく別の国、世界の人が一緒に同じように理解できる通路ができる」

その通りだと思う。いやはや、80年代の教授からは全く想像できない発言ですが^^
別に政治的なことじゃなくても、僕は芸術というのはそういうものだと思っています。抽象化させることと、モチーフを自分に取り込んで徹底的に洗練させること。「そんなものはリアルじゃない」「自意識過剰だ」とか言われたとしても、僕は逆に「じゃあリアルなものが、素のものが何かこの先に大切な、理解できるコミュニケーションを生んだのか?」と問いたいです。

違う次元で自分の生活にコミットしてくる重要性というか。美を自分の世界に取り込んでいる、というのはリアルに生きれば生きるほど強いと思うのです。上手く言えないけど。




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