禍々しい美意識 「ミッドサマー」

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この間から、近くの映画館で「アリアスター祭り」という一体誰が来るんだという企画上映をやってまして、非常に気になってたんですが、いよいよ泣く子も黙る「ミッドサマー」上映ということで、初日に勇んで行ってきました。

なんとバージョンがディレクターズカット(170分!)、そしてIMAX、そしてレイトショーというマニアックすぎる企画内容ゆえか、IMAXなのにお客さんは10人くらい、お祭り感は一切なく、パンフさえ売ってないという。

さて、作品考察は詳しい方が散々語り尽くしておられるので、正直な感想を少し。

何度か観ての鑑賞だったわけですが、正直、それほどいいとは思ってなかったんです。前作の「ヘレディタリー」もそんなにいいとは思わなかった。だけど今回改めてじっくり観て、これはすごいなと。なんでだろうね。やはりこういうのってその時の精神状況に左右されるのかなと思ったり。ラースフォントリアーの作品の受け取り方と似てるかもしれない。実はLowなときに観るとハマるようでハマらないのかなと。

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■細かさ
細かいんですよ。ほんとに。そんなもん気づくかよ、って感じのところまで気を配って画作りをしている。だから必然的になんでもないさわやかな草原のシーンでも何か意味があるんじゃないかとか、それがそういう妙な緊張感を生む原因となっている。儀式のときの村人たちの表情とか、ラリったときの見える風景のCGの気持ち悪さとか、タペストリーの絵の意味とか、主人公の性格とオチとのつながりとか、もうほんとにいろいろ。

■コントラスト
というワードでみると明らかなのは「テーマ(ダークな儀式)と舞台装置(スウェーデンのまばゆさ)」が最もわかりやすい事例ですが、もっとマクロ・ミクロの視点で観ると「男・女」だったり、「(アメリカという)開放感」と「(コミューンという)閉塞感」だったり、「寓話(花とクマ)と現実(いけにえ)」だったり、そういうコントラストがエグみと深みを醸し出す原因となっている。

■酔い
登場人物たちは(村人もかな?)ハナからラリってるんだけど、それが決してアッパーに作用していないことをカメラワークと音楽で視聴者に「体感」させている。カメラは意味もなく回転するし、白夜の草原に響き渡る女性コーラスはとても美しいんだけど、どこか禍々しくてバッドトリップ感を倍増させてるんですよね。文字通り吐きそうになる酔い。イメージさせるんじゃなくて体感させるってのはなかなかできないんじゃないかと。

てなことを思いました。

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決して万人に勧められる作品ではないけど、表現として考えるとマクロ・ミクロに非常に優れていると感じます。ヒグチユウコ氏が力作なポスターを描いた気持ちもすごくよく分かる。

てなことで、あまりにも美しくあまりにも禍々しい作品だったので、初回限定盤のスチールブックを探して買ってしまう羽目に・・・あんまりこういうことってないので相当衝撃的だったのだと思われます。

こちらも製品として非常に美しい作品となっているので、次回、それのみご紹介します(ってまだ続けるのかよ)。

そしてちなみにアリアスターの作品は25年9月現在、なんとアマプラで最新作を除く全作品が視聴可能となっております。まさしく狂気(いつも思うがアマゾンってどういう基準で作品を選んでるんだろう?)。未体験の方はぜひ。


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