かつて僕は歌をやってました。
でも最初にバンド組んだ頃はそうでもなくて、僕はどちらかというと裏方。いつから歌おうかと思ったかというと、これはやっぱりDavid Sylvianを聴いてからだったと思います。
それまでボーカルって言うとなんとなくスタンドプレイっていうか、パフォーマンスしないといけない、簡単に言うと「芸」ができないといけない、みたいな、そういう偏見がありました。
ところがDavid Sylvianというのは全然そうじゃなかったんですよね。自分のために、自分の内側に向かって歌っている感じ。パーソナルというか。それでああ、こういうのもアリなんだなと思ってやり始めた。それが20歳頃だったでしょうか。
ちなみにこれがDavid Sylvian。これは1stアルバムに入ってた曲で、84年だから30年くらい前ですね。また、ここでピアノを弾いているのは坂本龍一。今聴いても変態な曲ですね。
独特の歌い方する人だし、マネしてもしょうがないよなというのがあって、なんとか自分らしい歌い方ができないかと模索してまして、高い声を出すように、もっと張るように、ってやってたらなんとなく自分のスタイルみたいなのが掴めた感じがした。 それでけっこう曲を書いてて、その時期が長かったですね。30代の前半くらいまでやってたのかな。いわゆるシンガーソングライターですよね。
でもその頃に商業的な音楽をやり始めていて、耳もけっこうシビアになっていたのかな、自分の曲とかを聴くと、もうなんだか聴けないんです。要は下手だと。下手というか、リードパートとして曲を表現できていないなと。つまりそこでようやく歌の才能がない、ということに改めて気づいたわけです^^(遅い!)
じゃあどうしようかなーってのでけっこう悩んでまして。だって今まで割とアイデンティティ的でしたから、それがなくなるというのはなかなか辛い。 その頃にバリ島に通い始めたんです。2000年の前半くらい。でまあ当然のようにガムランとか聴いてたんですけど、不思議と自分でやろうとは思ってなかったです。そっちをやるには少し遠い感じがした。
ただ、当時ヒーリング的に解釈したガムランというのもけっこうあって、奥さんに「お酒飲みながらぼーっと聴けるようなエスニックなやつとかでいいんじゃない?」とか言われて、あ、そーかなーとか思ってキーボードでやってみると、案外すんなりできたんです。その時に「あ、これはアリだな」と思った。
その時にできた曲がこれ。
リンディックっていう竹のガムランのループ音が手元にあって、それを聴きながらキーボードでセッションしてみた。するとメロディもぱっと浮かんだので、すごく完成が早かったのを覚えています。
じゃあせっかくだしアルバムにしようかってことで作ったのが「Sekala Niskala」。アイデアが基本的にガムランをモチーフにした電子音楽だったので、今聴くとまあなんでもアリな感じですね。バリのホテルにもパソコンとキーボードを持ち込んで作っていたのを思い出します。
このアルバムで気に入っているのはこれ。
これは「ウルンウブド」っていうチャンプアンの上の方にあるホテルで作っていたもの。作ってるとき、ホテルのスタッフが聴きに来てましたね。「おまえ、ガムランやるのならなんでホンモノやらないんだ」とか、いろいろ言われたりしてね。
てなことで今に至るわけですが、ボーカルをやっていた頃よりも格段に評価が高くなったので、やはり今の選択は正しかったのだろうと。
ただ、ガムランはひとつの手段なんだろうということ。それを追い求めていこうとは思わないし、サウンドスケープという意味合いでは他にも描きたいスケープはあるので、今後どういうサウンドにしていくかですね。それが楽しみでもあり、苦しみでもあるわけです。