音楽とPCの絡まり方

Wzu3Z0UuOXSUMHQhXOZvc2k1v9ri6Fh7IEK8iDR6DSgLAYspNどれだか忘れたけど最近の村上春樹のエッセイに、ランニング中はウォークマンで音楽を聴いている、みたいなことが書いてあった。

まあそうだろうなあと思って読んでいたのだが、使っている機種がどうやら今でも「MDウォークマン」らしい。MDウォークマンって知ってます?

MDという規格自体は実際短命だったのだけど、僕にとってはさらに短命で、実はほとんど使った記憶がない。
というのも前にも書いたけどカセットテープ時代からMDに切り替えてしばらくしたら例のMP3というのが出てきたからだ。90年代の半ばくらいだったかな? これで音楽の扱いがコンピュータに移り、音楽制作はハードディスクレコーディングに変わった。

MP3はけっこう驚いた。音楽がファイルとして取り扱えて、音質がこのくらいなら許容できるなと。兎にも角にも便利だったんですよね。ファイルだからストレージにコピーできるし、メールで送れるし。そういう意味で録音メディアは60~80年代の30年間ではほぼ変化なかったのに、90年代半ば~00年代半ばの10年間でめちゃくちゃ変動したってことだよね。

村上氏のそのエッセイで僕が驚いたのは、なぜ今iPodやスマートフォンみたいな機器に切り替えないのか、その理由として「まだ音楽とコンピュータを絡めたくない」と書かれていたことだ。

村上氏は単にPCに音楽を落としたり、それで音楽を聴いたり、コピーしたりということを感覚的に好まない、ということだけなのだと思うのだけど、制作側にとっては必須ツールになっているので村上春樹流に言うと「好むと好まざるに関わらず」使わざるを得ない(例外として使っていない人もいるだろうけど)。そしてそこで起こることは「スポイル」だと思う。少しの非クリエイティブな教訓があるだけの非常にむなしいスポイル。

僕はPC上でとある音楽制作ソフトウェアを使い、バックアップ用ハードディスクを置き、外部の楽器やアンプをつなぐためのコンバーターを設置している。それほど複雑なシステムではない。しかし多くの人が経験しているように、

・フリーズする(ことによって直近のデータが失われる)
・クラッシュする/物理的に故障する(ことによって半永久的にデータが失われる)
・OSのバージョンアップによって古いソフトウェアが突然使えなくなる
・何らかのバージョンアップによって何らかのソフトウェアが突然使えなくなる

ということが起こる。どれもかなり悲劇的なのだが、問題はそれらは「やっちゃった・・・」という自分の失敗に起因するものでない、という点だ(そういう場合もあるだろうけど)。自分の失敗であればまだ納得できる。しかしこれらの悲劇は地震のように何の前振りもなくやってくるのだ。これを「スポイル」と言わずしてなんと言おうか。

もちろんある程度は防げる。保存をマメにする、バックアップを取る、システムメンテを必ずやる・・・だがそれでも悲劇は起こるのである。

こないだいつも使っている音源が急に使えなくなったのに本当に参った。単独の音源とはいえ、それがどういうPCのどのバージョンのOS、どのソフトのどのバージョンで動いているかで対処が変わる。ハードがおかしいのか、ソフトがおかしいのか、バージョンが合わないのか、その複合的要因なのか、全然分からない。
多くの人が使っているソフトウェアであれば割と簡単に解決方法は見つかるけど、音楽制作はその人によって全くシステムの環境が異なるのでそう簡単には解決できない。しらみつぶしに調べていくしかない。

これがふつうのテープレコーダーみたいなものだったら、壊れてる→修理するという単純な発想でいいのだけど、「どうも壊れてるっぽくないけど動かないし、直し方がよく分からない」というのがPCの特徴のような気がする。
制作がPCに移行して音質が格段に上がったし、制作も楽に早くなったし、機械を操作しているという実感がないのを除けば非常にいいことだらけなのだが、音楽をPCに絡めるとこういう悲劇からは逃れられない。

とはいえ、テープレコーダーの時代に戻りたいかと言えば、全然戻りたくはない。よく考えるとあの時代は時代で「音が悪い」「物理的限界(トラックが足りないとか)がある」等々の理由で悩んではいたわけで、結局その悩みの質が変質していくだけなのだよな。

方丈記じゃあるまいし、現代にシンプルな世界なんてあるようでないのだ、たぶん。