遅れましたが今年の抱負などなど

2015。どこかのサイトに書いてありましたが、どことなく未来的な響きのする年号ですね。

某ソーシャルには区切りをまだ付けたくない、みたいな中二的なことを書いてしまいましたが、まあ社会が勝手に区切りをつけようとするからどうしようもないよね。キャストアウェイみたいに無人島で暮らしていたら別だけど。

昨年はまあ一応アルバムを無事にリリースでき、例のごとく売れないですが、もちろん買って下さる方もたくさんいて、本当に感謝です。音楽が売れない昨今なのに本当に嬉しい限りです。ライヴパフォーマンスをやっていないのが傷手ではありますが、正直未だにどうやってライヴをやっていいのか良く分かりません。ぼんやりとは考えつくんだけど。

ここ何年か視覚とか映像とかビジュアルから音楽を作る、というアイデアで来ていますが、そろそろ枯渇気味。これを続けていくには新しいエクスペリエンスが必要なので、どこかで生活を切り替えるか、違う場所への旅などが必要なのでしょうけども、その糸口をどうつかむかが今年のキーなのかもしれません。今までの圧倒的なエクスペリエンスがバリとの邂逅であったように。

技術的には、というか、表現としてはもっとオーガニックにならなければなとは思います。とはいえニューエイジでアコースティックなものというのもやりたくはないし、オーケストラやピアノソロがやれるほどの技術はないし、難しいとこなんですよね。武満徹みたいなのが(精神世界としては)理想ではあるけど、あそこまで研ぎ澄まされた精神を持っているわけではないし。

てなことで今年はとりあえずもう1枚アルバムをリリースします。今回は京都編。お膝元ってやつですね。いい加減、CDというメディアから離れたいけど、前にも書いたように、無名の人がデータだけ作ってもしょうがないんです。何のプレゼンスもない。何か物理的な形になってないと、というのと、僕の曲を聴いてくださる方はわりと年配の方が多いので(失礼)、まだまだCDの需要はあるなと思います。

あとはまあ、とりあえず健康でいられればいいなと。多くを望まず、こつこつと。
相変わらず地味ですがそんなスタンスで参りたいと思います。

そんなことで最近書いた曲。どこまでも地味ですがよろしければ。

●Come Winter
師走の京都をイメージしたもの。京都ものを作るにあたって、重要なのは残響だと思った。この場合はハープの音を短く切って、そのエコーを聞かせる感じね。曲としては錦市場の感じ。あのざわざわ感っていいよね。

●The Name of the Bamboo
曲作ってるとチェロものってのはけっこう憧れではある^^ でも和風味でわかりやすく、って考えていくと結局久石譲みたいになるのよね。そこに最初に目を付けた久石さんはえらいなあと思う。目を付けてたわけではないと思うけど。