とりとめもなく、とりとめもなく

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お久です。川本です。写真はiPhoneで最近適当に撮ったやつの中から拾っているものであまり本文と関係ありません。

新幹線の中で書いてます。新幹線ってなんかヤだよね。人運ぶだけのマシーンみたいで(実際そうだけど)。
そういえば昔、村上春樹が書いていた、船には名前が付いているのに、なぜ車とか飛行機にはついてないんだろう、みたいなエッセイを思い出した。「かもしか号」には乗りたいけど「らば号」は遅そうで嫌だ、みたいな話だったかな。「のぞみ」とかいう抽象的な名前じゃなく、新幹線も一台一台もう少し可愛い名前をつけたらいいのにね。ややこしいか。


てなことで、、、あろうことか12月。これはどういうことなんだろうとか思うけど、この時間のスピードというのはちょっと信じられないよね。冗談じゃなく5年が1年くらいに感じる。5年前にやったことなんてほんとつい最近じゃないかなあ。そう思いません?

今年を振り返ると、とりあえず4作目となるアルバムを作ってました。ひとまずプロデュース的には収まり、曲数も達したので、仕上げにかかっています。

今まで以上に地味で、なんでこんな地味になっちゃったんだろう、とは思える出来ではあるけど、今回のアートワークを担当していただけることになった佐々木さん(いつもありがとうございます!)からは「何か美しいものを見ているようだ」的なコメントをいただいたりもしたので、とりあえあず気をよくして頑張っています。

あと、今年はなぜか昔を振り返る機会が多かった。幼少を過ごした土地に行ったり、昔の友人に会ったり、かつての大学に行ったりとか。こういうことは今までなかったからすごく変な感じがしてね。なんとなく人生全体的にお別れの時期なんだろうかとか、そういう気色悪いことを考えたりもして。そういうことは夜明け前に思うよね。それで眠ろうと思っても眠れなかったり。

なんとなく思うのは、これから急激に老けていくんだろうな、ということと同時にいろんなことを忘れていくんだろうなということ、そしていろんなタフな現実が降りかかってくるんだろうなということ。歳をとるというのはそういうことだね。現実的に良いことはまるでない。まあそれはしゃーない。

でも僕の表現上・創作上の感性というのはあまり変わってないと思うし、音楽的な創作意欲もあまり変わっていない(もともとそれほどなかった、という言い方もできるけど)。音楽が売れる売れない、というのは別として、音楽が探求できる余地はまだある。そう思うんですよ、本当に。ポップ・ロックの文脈で考えるからダメなんであってね。

一番変だなと思うのが「音楽が音楽の役割を果たす」という感覚がまだ残っているんじゃないかということ。音楽はもう単独では成り立っていかないような気がするんですね。至極いい加減に言えばこれからは何らかの商品の付加価値であったり、アテンションであったり、場を共有するための手段であったり、なんというか「導線」というのかな。音楽そのものを聴いて感動する、なんてのがそもそもこれからあり得なくなるんじゃないだろうかという。

僕がBGM的な作り方を始めたのは実はそういう感覚なんです。「音楽はもう単一のメディアとしてのパワーを失っていくだろう」という。2000年代の初めくらいに感じていました。CDが売れないとか、そういう以前の問題として。

簡単に言えばちゃんと聴かれなくなっていくだろうと。「しながら」とか「なんとなく音が聞こえてた」とか。そんなもんなんじゃないかなあ。ミュージシャンはそれを表だって否定しないけど、絶対に思っているはずです。でもそれって実は健全だと僕は思うんですね。音楽がすごいんだ、みたいな感覚がそもそもおかしいというか。

これからは、、、個人的には音楽は続けるだろうけど、ますます非音楽的になっていくのかもしれない。学生時代にやっていたインスタレーションのまねごとのようなことも、そもそも「音楽的な音楽はつまらない」という発想から来ているのだと思う。そういうのはやっぱり変わらないもんですね。

そんなことでとりとめもなく。

以下は最近のコンペ仕事で出してみた曲。フランスのテレビ番組のエンディングテーマだったかな、惜しくも次点で採用されませんでしたが、作ってて面白かったです。いずれにしても電子音楽の方に行こうと思わないなあ。