音楽サークルの先輩で、ベーシスト。バンドをやったり、僕の曲の録音に参加してもらったり、それこそ20年前はお世話になった。今や鹿児島の某大学の教授先生である。
先日は僕が行った鹿児島の温泉でごはんを食べ、次の週は彼が京都に学会で来るというので、京都でごはんを食べた。
さすがにまあ外見的にはお互い年を取ったけど、こと音楽の話になると一瞬であの頃に戻る。「きみは坂本龍一の黄土高原を完コピしてたよね」とか全然覚えてない話が出てきたりとか^^
で、学生時代から彼に借りているベースがあったので、それを返したかったので自宅に呼んでしばし話をした。僕自身、ベースは興味なかったけど、当時、手弾きでベースを入れたい曲は自分で弾きたかったので、たぶん使ってないやつ貸してって言ってそのままになっていたんだろう(長いことほんとにすいません)。20年ぶり以上に返却したんだけど、ようやく持ち主に帰ってほんとに嬉しかった。
ちなみにこの先輩はどちらかというとフュージョン系の音楽を愛好する人である。まあ音楽サークルとしてはまっとうというか、当時ではロックの次に多いジャンルだったように思う。
しかし、僕は頑にオリジナル指向で打ち込み系(まあ今と変わってないですね)。今考えるといわゆる軽音系のサークルに入るような指向の持ち主ではなかったわけだけど、当時そういうサークルがなかったし、なんとなくいたのだと思う。
そしてなんとなく「オリジナルでフュージョンを作ろう」ということになった。僕はその時、いくつかデモテープを作り、バンドのメンバーに聴かせて差し替えられるパートは生に差し替えたいから協力してくれって言ったのを覚えている。しかしレコーディング自体煩雑な作業なのに、自分の曲を弾いてもらおうなんて、当時から僕は生意気だったんだねえ^^
当時のアマチュアの技術レベルではまだカセットテープを使った4chの録音が限界。コンデンサマイクもいいプリアンプもなく、カラオケマイクに毛が生えたような音の悪いマイクを立ててひたすらあーでもないこーでもないと何時間もやっていたのを覚えている。
けれどどんな音だったかはちょっと忘れている。でもこの先輩はそのときの録音を今、自分のiPhoneに入れてくれていて、それを聴かせてくれた。20年以上ぶりに聴いた自分の当時の音。これはなんというかじーんときましたね。それを覚えてくれているのはやっぱり当時そういうアプローチで音楽をやっている人間が僕以外でまわりにいなかったからだそうだ。
なんでそんなの持ち歩いてるの?って聞くと、彼は今、音楽サークルの顧問をやっていて、学生に聴かせてみるんだそう。要は今の学生ってそういう指向がなくて、やはりコピーが関の山で3コードでセッションすることさえもないという(大学が違えば違うとは思いますけどね)。なのでたぶん、音楽のやり方としてはこういう方法論もあるんだよ、という例として上げてくれているのだろうなと。そう思うとすごい嬉しかった。
たぶん、これからもやっていくことはそんなに変わらないだろう。けれど、そこにやるべきだと判断できる要素が少しでもあるのなら、それはやっていくべきだとは思った。
今度会うときも、また同じような話をするのだろうな。
それはそれである意味、幸せなことかもしれない。
めっちゃ懐かしいですね。
それと、お二人が楽しくお喋りしたりしているところが目に浮かびます。
そして、そんな時代の流れをお二人それぞれの今で共有しておられるところ、共鳴しておられるところ、ほんとうにすてきなお話でした。
いいものですね、たまにあう旧友って。
なんかそういうゴージャスな名言があったような。
きょうは、それを思い出しながら寝ます。
最後は覚えているのだけれど。~、またたのしからずや、みたいな。
ばひょん、どうもありがとう。
よく考えると学生時代の友人関係って意外と雑やな~と。卒業後に「じゃあ何年何月にもう一度会おう」なんて約束をするわけじゃない。すごく親しくってもたぶん永遠に会わない人もいるよね。
だから恐らく何らかのタイミングというか機会があってまた再会するようなものじゃないかなと。
遠くて近い、近くて遠い。そんな感じです。