音楽の「強度」とは何だろう?

「この世界において、退屈でないものには人はすぐに飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。」

これは村上春樹の作品「海辺のカフカ」に出てくる一節。小説自体は全然覚えてないけど(失礼)、この一節だけは妙に覚えている。

確かシューベルトの音楽について語られていたと思うのだけど、確かにクラシックを聴くようになってこのセリフをよく思い出す。僕の場合はベートーヴェンのピアノソナタとか、バッハのゴルドベルクとかそのあたり。よく聴くけど、確かに飽きない。あとはボサノヴァとかのゆるいラテン系の音楽。このあたりも飽きない。

この「退屈だけど飽きない」音楽というのは人によって違うと思うけど、得てして言えることは器楽構成として奇をてらっていない、楽理的に正しい、ピッチがいい、そして何よりアコースティック系、というのが言えると思う。きつい電子音とか歪んだギターとか、シャウトするボーカルとか、アウトするギターソロとか、やたらと変拍子とか、そういうので当てはまるものは少ない気がする(あるかもしれないけど)。

つまり音楽よりも何か思想やアイデアのようなものが勝ったりするとダメということだろうか? このあたりは解説している人を知らないので予測にすぎないわけだけど。

さて、このあたりで「音楽が聴かれなくなった」という昨今の兆候の話につながる。

音楽が聴かれないのは、まず第一に「聴かなくても別にいい」という我々の生活におけるエンターテイメントの選択肢の拡大があり、次にあるのが「聴かれるべき音楽がない」という気がする。これってやっぱり飽きない音楽が少ないからじゃないだろうか?

冒頭で述べた「飽きないものは退屈である」というのは、逆にいうと「あまり刺激的じゃないけど、気に入っていて何年も大体聴いている」ということではないだろうか?

こういうのは有り体に言うと普遍性ということになるのだろうけど、僕は「音楽の強度」だと思っている。強い音楽。時間が経っても、演奏家が変わっても、流行が変わっても、音質が変わっても、再生装置が変わっても聴ける音楽。

このあたりに今後やっていく音楽のヒントがあるような気がする。