リリカルな村上解釈/【映画】トニー滝谷

久々に映画評。

原作:村上春樹、監督:市川隼、音楽:坂本龍一、ナレーション:西島秀俊というなんというか不思議な組み合わせ。
市川さんは数年前残念ながらお亡くなりになられましたが、元々はCM演出をやっていた人で、そこから監督になった方。割と古い方なので僕は存じ上げなかったのですが、CMでも名作がありますね。長年村上春樹のファンだったようです。

で、作品として取り上げたのが「トニー滝谷」というのが面白いですね。この作品はとても地味で、「レキシントンの幽霊」の中ほどに収められた短編。結構前の作品で(10年以上前?)、変わったタイトルだな、ということで覚えてはいたのだけど、映画化されて再読した次第。確か村上春樹がハワイに行ったとき、「Tony Takitani」ってプリントされたTシャツを着てる人を見かけて、そこからインスパイアされて書いた、っていうのを何かで読んだ気がする。違ったかな?

とても「らしい」作品のひとつで、例によって独特の孤独感が描かれるわけだけど、この作品は妙にひやっとした感じがする。そのあたりが監督をくすぐったのか、その「ひんやり」感がうまく映像化されていると思う(真夏に撮影されたそうだけど)。

下から上を見上げ、左から右へパンして流れていくカメラワークは芝居を見ているような錯覚に陥る。そしてそこにまさしく「ロンリネス」を表現した坂本龍一のピアノ(ほぼインプロビゼーションらしい)に、西島秀俊の木訥としたナレーションが重なる。どこまでもミニマムでメランコリック。

例えるなら午睡から目が覚めたときの、まわりの白さにフォーカスが合わない時のような、そして何時か分からない、あの漠然とした不安感のような。

決して楽しい映画ではないけど、まさしく良い短編小説を読んだときのような「しん」とした感覚が味わえます。DVDのほか、サウンドトラックもおすすめ。

間接的ではあるけど村上春樹と坂本龍一が唯一つながった作品とも言えますね。
 

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遅れましたが今年の抱負などなど

2015。どこかのサイトに書いてありましたが、どことなく未来的な響きのする年号ですね。

某ソーシャルには区切りをまだ付けたくない、みたいな中二的なことを書いてしまいましたが、まあ社会が勝手に区切りをつけようとするからどうしようもないよね。キャストアウェイみたいに無人島で暮らしていたら別だけど。

昨年はまあ一応アルバムを無事にリリースでき、例のごとく売れないですが、もちろん買って下さる方もたくさんいて、本当に感謝です。音楽が売れない昨今なのに本当に嬉しい限りです。ライヴパフォーマンスをやっていないのが傷手ではありますが、正直未だにどうやってライヴをやっていいのか良く分かりません。ぼんやりとは考えつくんだけど。

ここ何年か視覚とか映像とかビジュアルから音楽を作る、というアイデアで来ていますが、そろそろ枯渇気味。これを続けていくには新しいエクスペリエンスが必要なので、どこかで生活を切り替えるか、違う場所への旅などが必要なのでしょうけども、その糸口をどうつかむかが今年のキーなのかもしれません。今までの圧倒的なエクスペリエンスがバリとの邂逅であったように。

技術的には、というか、表現としてはもっとオーガニックにならなければなとは思います。とはいえニューエイジでアコースティックなものというのもやりたくはないし、オーケストラやピアノソロがやれるほどの技術はないし、難しいとこなんですよね。武満徹みたいなのが(精神世界としては)理想ではあるけど、あそこまで研ぎ澄まされた精神を持っているわけではないし。

てなことで今年はとりあえずもう1枚アルバムをリリースします。今回は京都編。お膝元ってやつですね。いい加減、CDというメディアから離れたいけど、前にも書いたように、無名の人がデータだけ作ってもしょうがないんです。何のプレゼンスもない。何か物理的な形になってないと、というのと、僕の曲を聴いてくださる方はわりと年配の方が多いので(失礼)、まだまだCDの需要はあるなと思います。

あとはまあ、とりあえず健康でいられればいいなと。多くを望まず、こつこつと。
相変わらず地味ですがそんなスタンスで参りたいと思います。

そんなことで最近書いた曲。どこまでも地味ですがよろしければ。

●Come Winter
師走の京都をイメージしたもの。京都ものを作るにあたって、重要なのは残響だと思った。この場合はハープの音を短く切って、そのエコーを聞かせる感じね。曲としては錦市場の感じ。あのざわざわ感っていいよね。

●The Name of the Bamboo
曲作ってるとチェロものってのはけっこう憧れではある^^ でも和風味でわかりやすく、って考えていくと結局久石譲みたいになるのよね。そこに最初に目を付けた久石さんはえらいなあと思う。目を付けてたわけではないと思うけど。

今日という日を彼は知らない

ちょうど10年前の2004年11月のできごと。

そのときまで飼っていた猫が死んだ。

正確な年齢は覚えていないけど13歳だったんじゃなかったかと思う。この猫は(雄猫だった)学生時代、当時友人だった妻が飼い始め、その後結婚したので結果的にふたりで飼った猫となった。

雑種で特にルックスに秀でた猫ではなかったし、性格的にもありきたりだったが僕にもよく懐いてくれた(あまり関係ないか)。しかし、元々部屋飼いではなく、半ノラ的に(外出OKにしていた)飼っていたため、恐らく他の猫とケンカもよくしたのだろう、その手の猫がよくかかるらしい猫エイズにあるときかかってしまった。

だんだんと調子が悪くなり、餌をほとんど食べなくなった。医者に連れて行っても一向に良くならない。
そしてある晩、一緒に寝ていたらひどく痙攣を起こしそのまま冷たくなって僕の胸の中であっという間に死んでしまった。最終的な病名は分からないけど何らかの臓器不全だったのだと思う。明くる日、ワイン屋さんでもらった木のケースを棺にして、花でいっぱいにしたあと、火葬業者に出した。何日かあとに小さな骨壺になって戻ってきた。

僕がこのことをはっきり覚えているのは、僕の胸で猫が死んだ、という事実があったからではない。猫が死んだ翌日がひどく晴れた日だったからだ。

昼間、近くの通りで信号待ちをしていたときに空を見上げて「ああ、今日の空の色をあの猫は見られないんだな」とぼんやり思ったことをすごく覚えている。それくらい晴れて気持ちのいい一日だった。

「今日という日を彼は知らない」

僕はそこに例えようもない悲しさを感じた。喪失ということをそんな風に感じたのは初めてだった。それから10年が経った。家を買ったり、病気になったり、CDを作ったり、また猫を飼ったり、いろいろあったけど、毎年11月になるとこのことを思い出す。

猫の名は「げんちゃん」と言った。「げん」じゃなくて「げんちゃん」。生まれた時にあまり元気がなかったので元気が出るようにという思いで里親さんが付けたんだそうだ。妻はたまに「またげんちゃんに会いたいね」と言う。それを聞くといつも涙が出そうになる。

こういう小さな悲しみというのは、大きな悲しみに比べればややもすると忘れ去られてしまいそうなものだけに、僕はいっそう悲しくなる。リリシズムを纏ってしまうからだろうか。

今いる猫には申し訳ないけど、今一度、げんちゃんを胸に抱きたい。

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音楽とPCの絡まり方

Wzu3Z0UuOXSUMHQhXOZvc2k1v9ri6Fh7IEK8iDR6DSgLAYspNどれだか忘れたけど最近の村上春樹のエッセイに、ランニング中はウォークマンで音楽を聴いている、みたいなことが書いてあった。

まあそうだろうなあと思って読んでいたのだが、使っている機種がどうやら今でも「MDウォークマン」らしい。MDウォークマンって知ってます?

MDという規格自体は実際短命だったのだけど、僕にとってはさらに短命で、実はほとんど使った記憶がない。
というのも前にも書いたけどカセットテープ時代からMDに切り替えてしばらくしたら例のMP3というのが出てきたからだ。90年代の半ばくらいだったかな? これで音楽の扱いがコンピュータに移り、音楽制作はハードディスクレコーディングに変わった。

MP3はけっこう驚いた。音楽がファイルとして取り扱えて、音質がこのくらいなら許容できるなと。兎にも角にも便利だったんですよね。ファイルだからストレージにコピーできるし、メールで送れるし。そういう意味で録音メディアは60~80年代の30年間ではほぼ変化なかったのに、90年代半ば~00年代半ばの10年間でめちゃくちゃ変動したってことだよね。

村上氏のそのエッセイで僕が驚いたのは、なぜ今iPodやスマートフォンみたいな機器に切り替えないのか、その理由として「まだ音楽とコンピュータを絡めたくない」と書かれていたことだ。

村上氏は単にPCに音楽を落としたり、それで音楽を聴いたり、コピーしたりということを感覚的に好まない、ということだけなのだと思うのだけど、制作側にとっては必須ツールになっているので村上春樹流に言うと「好むと好まざるに関わらず」使わざるを得ない(例外として使っていない人もいるだろうけど)。そしてそこで起こることは「スポイル」だと思う。少しの非クリエイティブな教訓があるだけの非常にむなしいスポイル。

僕はPC上でとある音楽制作ソフトウェアを使い、バックアップ用ハードディスクを置き、外部の楽器やアンプをつなぐためのコンバーターを設置している。それほど複雑なシステムではない。しかし多くの人が経験しているように、

・フリーズする(ことによって直近のデータが失われる)
・クラッシュする/物理的に故障する(ことによって半永久的にデータが失われる)
・OSのバージョンアップによって古いソフトウェアが突然使えなくなる
・何らかのバージョンアップによって何らかのソフトウェアが突然使えなくなる

ということが起こる。どれもかなり悲劇的なのだが、問題はそれらは「やっちゃった・・・」という自分の失敗に起因するものでない、という点だ(そういう場合もあるだろうけど)。自分の失敗であればまだ納得できる。しかしこれらの悲劇は地震のように何の前振りもなくやってくるのだ。これを「スポイル」と言わずしてなんと言おうか。

もちろんある程度は防げる。保存をマメにする、バックアップを取る、システムメンテを必ずやる・・・だがそれでも悲劇は起こるのである。

こないだいつも使っている音源が急に使えなくなったのに本当に参った。単独の音源とはいえ、それがどういうPCのどのバージョンのOS、どのソフトのどのバージョンで動いているかで対処が変わる。ハードがおかしいのか、ソフトがおかしいのか、バージョンが合わないのか、その複合的要因なのか、全然分からない。
多くの人が使っているソフトウェアであれば割と簡単に解決方法は見つかるけど、音楽制作はその人によって全くシステムの環境が異なるのでそう簡単には解決できない。しらみつぶしに調べていくしかない。

これがふつうのテープレコーダーみたいなものだったら、壊れてる→修理するという単純な発想でいいのだけど、「どうも壊れてるっぽくないけど動かないし、直し方がよく分からない」というのがPCの特徴のような気がする。
制作がPCに移行して音質が格段に上がったし、制作も楽に早くなったし、機械を操作しているという実感がないのを除けば非常にいいことだらけなのだが、音楽をPCに絡めるとこういう悲劇からは逃れられない。

とはいえ、テープレコーダーの時代に戻りたいかと言えば、全然戻りたくはない。よく考えるとあの時代は時代で「音が悪い」「物理的限界(トラックが足りないとか)がある」等々の理由で悩んではいたわけで、結局その悩みの質が変質していくだけなのだよな。

方丈記じゃあるまいし、現代にシンプルな世界なんてあるようでないのだ、たぶん。

京都をテーマに音楽が作れるか

Sunrise, Kyoto (Explored #109)

僕が京都の上京区に住むようになって早20数年。僕は生まれが滋賀の大津市なのでいわゆる「京都人」ではない。

よく分かんないけど、京都の人は滋賀県の話なんか絶対にしないし(よく言われるように大阪の話だってしないのだ)、僕も故郷や家族のことをあまりよく思っていないので、便宜的にここを「地元」だと思うことにしている。そう思うと両親にはとても申し訳ないのだけど。

子供の頃、何度かもちろん京都に遊びにきてはいたのだけど、本腰を据えるようになったのは大学からだ。京都の大学に通っていたからいたしかたない。しばらくは実家から通い、あるときから大学に近いアパートから通うことになり、そのうち今の奥さんと暮らすことになり、そのまま結婚してしまい、なんだかんだで家を建てることになってしまった。よくある話だ。

てなことで僕は京都人ではないので、これから言うことはあまり説得力はないかもしれない。

なんとか「京都」に関する音楽をパッケージ化できないだろうかと思っている。そう思ったのは音楽仕事で「京都」というテーマがとても多かったから。地元でさえそう言ってくるわけだから、これだけ観光客が押し寄せるこの地には何らかのマーケットがあるんだろうなと。こういうのはね、住んでると分かんないもんです。

というわけで曲をいろいろ構想してますが、やっぱりイメージされるところの「和」みたいなもの、これをどう処理するかがけっこう難しい。琴とか笛とか太鼓とか入れてそれっぽいスケールでやればまあ簡単にそうなるわけですが、だから何なの?って感じになってしまう。音色に流れるとよくないなと。

結果的にはまあそういう音色は使う訳だけど、問題はやはり「何を描くか」。ロケーションとかもあるんだろうけど、僕はやはり「気配」だと思う。「気配のBGM」という感じ。

なのでまあ結局は何を切り取るか、ということになるのかな。ただ日常的に生活している場所なだけに、客観性を持って眺めるというのはとても難しい・・・

以下はこの企画の発端になった曲。某伝統文化系のお客さんのイベントのために書いたものでそのときは「おもてなし」みたいなのを音にできないかなと思っていた。「何かを待つ」みたいな感じですね。さて、ほんとにアルバムとしてまとまるかな〜。

こだわりのなさ

僕はあまり「モノ」に対してはこだわりがない。
服は清潔でサイズがあってればそれでいいし、ビールは泡が出ればなんでもいいし、自転車は店頭で適当に選んだものだし、傘はいつも誰かからの借り物だし、腕時計はここ10年くらいしたことないし、車やバイクなんてそもそも持ってない。

さすがに楽器関係はこだわりがあるだろうと思って考えてみたんだけど、これが思ったよりなかった^^ 前にも書いたとおり、今の制作環境なんて20年前とは比べものにならないくらい向上してるので、大抵の楽器の音で満足してしまう。

特定の楽器をやってこなかったこともあるかもしれない。ギターが入り口だったけど、すぐキーボードに移り、歌もベースもやるようになった。興味があるのは「どんな音が出るか」だけで、弾くことそのものに全く興味がない。それは今でも同じ。

ということでヴィンテージ楽器とか言われるものがあんまり良く分からない。

持ってみれば分かるのかもしれないけど、ギター1本にウン十万かける、とかいうのがやっぱり分からない。

というか単にケチなのかな、とも思ったりするけど(つれあいにはそう良く言われる)、満足してるんだからいいじゃないか、というのが結論です。あるいは単に目標値が低いだけかもしれない。←たぶんこっちが正解。

そんな感じにも関わらず、ついつい新しい楽器を買ってしまった^^ 超安モン。

ベースです。フェンダーのJB62Mというモデル。

SONY DSCエレクトリックベースが必要な音楽をやっているわけじゃないのに、なぜ? という感じですが、今持ってないからです^^ 昔、大学時代に先輩に借りていたベースを持っていたのだけど、めでたく返却されたので、なんとなく手持ちぶさたというか。これとエレキとアコギが揃っていると何故か安心するのだ。昔からの癖かも。

これは知っている人がみれば分かると思うけどジャズベースというもので、ベース界においては超スタンダード。ただ、これはスケールが少し短いミディアムスケール。どうも普通のロングスケールというのは弾きにくくて。

ボディも少し小さいのだけど、けっこう体にしっくりきて、なかなかいいですよ。ギター弾きがベース弾くときにもおすすめ。

音はベースに詳しくないのでさっぱり分かりませんが、Logicでコンプとアンプシミュ通して弾いてみた感じでは、、、ブライトで、コシがあります。良くも悪くもフェンダー、って音。ちょっとプル気味に弾くと出る「ビッ」っていう音が気持ちいいです。形が形だけにピックで弾いてもいい感じ。

そんなことで、久々に3ピースな音でも作ろうかな。

「For」曲解説です

やっとこさ3rdアルバムをリリースしました。

昨年から取り組んでたプロジェクトで、それまでのアルバムと違っていたって普通な音楽です。
なんでこんな普通なのをリリースするの?と思われる向きもあるでしょうけど、やりたかったとしか言いようがない。

大きなモチベーションはやはり音源です。
今回はアコースティックなサンプリング音源を多用してるんですけど、ほんの数年前までこんな音は出なかったですよね。出たとしてもとてつもなくコンピュータのパワーが必要で、お金もすごくかかった。
それがようやく安価に普通に出るようになった、というのがすごく嬉しくて^^ 貧乏なおひとりさまミュージシャンの福音、というわけ。

基本的に僕はひとりでやってるけどエレクトロ的なのを指向してるわけではないし、バンド的なものがやりたいわけじゃないし、シンセサイザーもそんなに好きじゃないし、どちらかというとアコースティック指向です。だけどひとりでアコースティックなものをやる、というのはやはりとても大変で。弾き手はいるし、録音も大変だし。

なのでまあ有り体に言えば「打ち込み」ですけど、これがオール生になったからといってそんなに世界観は変わらないと思うんですよね。ようやくそういう時代になったんだと思う。むろん、きちんとピアノなり弦をやってる人から言えば「?」って感じだろうけど。

テーマは何度も書いているように「日常」。普段、何気なく感じている匂いや色、その瞬間瞬間の気分とか、そういうどこにでもあるものです。そしてなるだけダークな感覚を排除してます。元々僕はそういう気分に陥りやすいのですが、その反対のアッパーな気分を描きたかった。なんででしょうね、歳のせいかな。

以下、過去のブログと重複するものもありますが、全曲解説です。
曲のサムネイルはアートワークで使わせていただいたJesiさんの写真です。

●Flowerbird
これは一番最後にできた曲です。最初は真ん中くらいの曲順だったんですけど、気分的にこれが一番今回のコンセプトを表現してるなと思いトップに持ってきました。なんとなく、野に咲く花というより花屋さんの花というかな、日常の中にある花、そしてそこに飛んでくる鳥、みたいなそんなイメージ。

●April Canopy
曲としてはけっこう前からあって、いつかアルバムに入れたいと思ってました。かつて依頼された「花の袋」という映画のサウンドトラックでも使っています。テーマはずばり春、さわやかでクリーンだけどどこかざわざわしたものがあるような。

●Windpool
これも春ですね。春独特の浮つくような、落ち着きのなさというか。花見に行くとこういう気分になりません? 僕の花見気分はこういう感じなんです。タイトルは「風の溜まり」みたいなのを表現したかった。風がくるくると小さく渦巻いてるような。

●No Backward Glances
ほぼインプロヴィゼーションです。途中でミニマルっぽくなりますが、それ以外はほぼ即興。なんとなく別れのイメージ。幼かった女の子がいつのまにか大人の人になったと感じる時の寂しさとかね。決別、とかっていうんじゃなくて、僕の知っているその人ではなくなっていく、みたいな。

●Different Air
最初は違うタイトルだったんだけど、こっちの方がしっくり来るなと。流れじゃなくて、ある旋律の固まりだけがごろん、とある感じ。毎日って繰り返しだけど決して美しく調和するものではないよなあ、とかいう思いから作りました。意図的にビートを変えているのもそのせいです。

●Red Clouds Above
土曜の朝早くに自分の部屋から南の空を見ていて、そこに浮かんでいる雲を見ながら作ったもの。そのときは赤くなかったんですけどね。高さ・低さとか、色の薄さ・濃さみたいな対比というか、空のパースペクティブ。雲というのは僕にとって現実感の象徴でもあります。

●Ordinary Afternoon
タイトル通り、これこそ日常。昼下がりの公園のイメージ。そんなとこまず行かないけど^^ 変わったことは何も起こらない、そして日が暮れる、みたいな。なのでなるだけ盛り上げないで、明快なメロディもあえて作らず、という感じで作っていきました。

●Ukita
このタイトルはずばり僕が住んでいる町の町名です。京都なんですけど、普段はわりとがさがさしたところで。しっとりした京都のイメージじゃない京都、という感じですかね。テンポもたぶんこの曲が一番速いんじゃないかな。

●Two Tails Dreamin’
今飼っている猫を題材にしたものです。うちの家には庭はないですが、2匹が庭で仲良く遊ぶ夢を見ている、みたいなイメージ。できるだけかわいくしたかったので鼓笛隊みたいなリズムパターンを入れてます。あと、実際の猫の鳴き声のサンプルも。

●Fortunately
何というかサティですね^^ なんとなくぽろんぽろんとピアノを弾いていて録音したフレーズがあって、ある日聴いてみたらけっこう今の心象にぐっと来まして。それで次の日自転車に乗っていたら、Bメロの部分が浮かんだので慌ててiPhoneに録音して、みたいな感じで完成しました。

ということで購入先は下記。デジタルもありますが、ジャケットがとても良いのでぜひCD版で。

アマゾンは小ロットでしか搬入できないため、売り切れているときもありますが、数日以内に搬入されますのでカートに入れてもらっても全然大丈夫です。

できれば春の晴れた日に、ぼんやりと聴いてみてください。

For
Kyoichiro Kawamoto
For
曲名リスト
1. Flowerbird
2. April Canopy
3. Windpool
4. No Backward Glances
5. Different Air
6. Red Clouds Above
7. Ordinary Afternoon
8. Ukita
9. Two Tails Dreamin’
10. Fortunately

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ようやく曲とアートワークが完成

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Photo by Jesi Langdale

次作、いよいよ大詰め。曲順もアートワークもようやく決まって、今、最終調整をやっています。

リリースはいろいろ工程を鑑みると3月入ってからになりそう。前にも書いたけど、CD作ってそれをネットに置くってものすごくめんどくさいんですよ。印刷とかプレスとか、流通の調整とか、いろんな非音楽的なプロセスがいっぱい出てくるので。

だけどまあ世代もあるし、僕みたいな無名の人が「作った感」を出そうとすると未だにCD以外ないんです。デジタル配信だけならものすごく楽なんだけど、それこそまったくプレゼンスがなくなる。それで誰もがリリースできるようになったと言ったって、たかだかそれだけです。ひとり宅録インディーズの悲哀、といったところでしょうか。

Facebookにも書いたけど、音楽を作るって言うのは全然難しいことじゃないんですね。というとえらそうに聞こえるかもしれないけど、一番難しいのは「方向性を決定づける」ということ。どんなアイデアがあって、どんなリスナーが想定できて、そこにどんな感覚を届けたいのか、という。それがきちんと考えられてないと商品価値がない。要はプロデュースをどうしたか、ということです。
広告を多少知ってるからそういう理屈になるのかもだけど、やみくもに曲を書いて、どう?って言われてもどうしようもないよね。

オッサンでも例えばブルースバンドやったりしてて、「俺こんどCD出すねん」みたいな人もいると思うけど、それはそれで「普通のおっさんが実はバンドやってて、実は渋い音楽をやっている」という方向性があるわけですよね。やみくもにやっているようで実はそうじゃない。
方向性の設定は意識するしないに関わらず、実はみんなやってることなのです。問題はそれを突き詰めて考えてるかどうか、というだけの話。

じゃあお前はどうなんだ、と言われると「うーん」という感じではありますが^^

ちなみに悩みに悩んだ末、イメージに起用させていただいたカメラマンはアメリカのフロリダ在住のJesiさん。
起用させて欲しいっていうと「気に入ってくれて光栄だわ」みたいな返事が来て、とても嬉しかった。

Jesiさんのポートフォリオはこちら。ニコンのフィルムカメラで、とてもスタティックに日常を美しく切り取られています。こういう視点、好きだなあ。

 

Happy New Year

SONY DSC

あけましておめでとうございます。

相変わらず僕はバリ島のUBUDというところで過ごしています。昔はそんなつもりじゃなかったけど、なんだか定着しましたね。数年前からかな?  何より日本の正月が好きじゃない、というのがあるかもしれない。正月をうやうやしく迎えなくちゃいけない理由が未だに分かんないし、実家に帰る風習とか、下劣なテレビとか・・・

ということは別にバリでなくてもいいんですが、やはり好きな土地だし(何しろアルバムを2枚作らせたところでもある)、行き慣れちゃったので(数えてないけどもう10数回くらい?)、落ち着き感がハンパないというか^^



昨年を振り返ってみると、割とおだやかというか、平和な年でした。凪のごとく。なんかこう憑きものが取れたみたいな感じ。こういうのってあんまりなくて自分でも驚いてるんですけど、まあ一生のうち、そういうときがあってもいいでしょう。どうせまた否が応でもヤバイ時が来るんだし。

何をやっていたかというと、とりあえずアルバムづくり。「For」というタイトルでまもなくリリースします。初の非ガムランで、果たしてできるのかなあと思いつつでしたが、心境的にそうだったんでしょうね。昨年から作り始めて、なんとか形になったかなと。こんだけコンセプトづくりに迷った作品は初めてかも。だけどどこかでアウトプットしとかなきゃと思った。

あとは家事ですね^^ 掃除とか料理とか猫の世話とか。でもやっぱり家事ってちゃんとやるとすごく大変なんですよ。ほっとけないというかサステイナブルな作業だし。だけど絶対に毎日必要なことだし。なるだけ怠けないように、と思ってやってました。

ところが年末になって頸椎のヘルニアが発覚。医者によると長時間のデスクワークが原因だそうですが、だって今やいろんなクリエイティブな作業ってPC上でしょ。昔みたいにギター持ってマイクの前で歌うわけじゃない。必然的に画面とにらめっこしてる時間が多くなってたんでしょね。

治療はひたすら「温存」なんだけど、そんなことも言ってられないし、とりあえずリハビリ通って作業は継続してます。

てなことで今年はもう一枚アルバムを作る予定です。このCD不況下に何やってんだという感じですが、僕の馬鹿のひとつ覚えは作ることです。それしかないので。

ではみなさま、今年もよろしくお願いします。

Kyoichiro Kawamoto

戦メリ30周年記念、私的教授ベスト10

戦場のメリークリスマス-30th Anniversary Edition- 何やら映画「戦場のメリークリスマス」の公開から30年ということで、ハイレゾ音源が配信されてますね。そうか、もうあれから30年も経つのか・・・

坂本龍一というと今の若い人にとっては「ピアノを弾く白髪のおじいさん」という感じでしょうかね。癒しの曲を書く人、みたいなイメージかも。でも僕らくらいの世代だと「インテリテクノ野郎」みたいなイメージでしょうか(違うか)。ピアノというよりシンセサイザーの感じですよね。

ということでキュレーションサイトにも上がっていたけど、僕なりの教授の音楽ベスト10、行ってみたいと思います。

ベスト10というかよく聴く10曲、という感じです。 ファンではありますが、何せ30年前から聴いてますから、古い曲が必然的に多くなってますがご容赦を。御山さんあたりは分かってくれるはずだ。

1.  マ・メール・ロワ(1984)
いきなりマイナーな曲ですが、「音楽図鑑」というアルバムのボーナストラック。レコードではEPみたいなので付いてきた記憶が。 フェアライトとおぼしきゴリゴリしたサンプリング音にピアノが絡む何とも言えない緊張感のあるアレンジに、ひばり児童合唱団のエスニックな音階が乗るという対比が凄い。
エスニックなんだけどどことも言えない風景が見える。確か当時これを使ったCMが流れてた気がする。
↓の5分27秒あたり

2.  Steppin’ into Asia(1985)
「音楽図鑑」が出たあとのシングル。使われているラップはタイ語で、当時の教授のラジオ番組のリスナーが歌っている。特に目立ってエスニックな音階は使われてないし、メインのリフも3度重ねなのになぜか妙にエスニックで、一時こればっかり聴いてたときがあった。
ちなみにこの変てこなベースは細野晴臣氏によるもの。サビのボーカルは矢野顕子。サビ前にバックで鳴っているシングルトーンの白玉のシンセの音とフレーズの熱帯感がいい。

そういや出た当時、この写真が盤面になっている「ピクチャーディスク」というものだった。どこまで自分好きやねん。

3.  Bamboo Houses(1982)
正確にはDavid Sylvianとの共作。両A面のシングルで、僕は12インチ盤を持っている。Sylvianは昔から仲が良かったようで、これ以降も共作がけっこうあるけど、最初に出た共作シングルとしてはこれが最初では?
恐らくSylvianが作ったシンセのリフみたいなのを教授がアレンジして「こんな感じ?」「おー、えーやん」(なぜか関西弁)という感じで仕上がったものだと推測する。微妙にデチューンされたガムランみたいなシンセの絡みと、最後に出てくるSylvianのボーカルとその後の笛みたいなシンセリードがとにかく秀逸。

4.  Japan(1983)
「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラックのピアノバージョン「CODA」に収録。なんとなく戦メリのサントラ時のアウトテイクという気がする。これもシンセで演奏されている笛の使い方が秀逸で、僕がシンセ笛を使うときのフレーズの節回しなどはかなりこの影響がある(と思う)。

※サンプルなし

5.  Tibetan Dance(1984)
「音楽図鑑」の1曲目。非常に分かりやすいエスニック・フュージョンだけど、音の質感が独特で非常になまめかしくて好き。ということでライブバージョンはイマイチ。ドラムが高橋幸宏、ベースが細野晴臣なので、要はYMOなのだがスタジオミュージシャン的に使うとこうなるという例でもある。
余談としては当時同じスタジオで山下達郎がレコーディングしていた関係上、間奏のカッティングギターは山下達郎が弾いていたりする(実はこの二人、仲良しなんだよね)。

6.  Seoul Music(1981)
これはYMO時代の曲。「テクノデリック」に入っているもので、日本語タイトルは「京城音楽」。教授の韓国旅行が元になっているらしく、当時の軍事政権下のソウルの様子がナレーションで入っている。
「フクチキフクチキ」って声のサンプリングで入っているパーカッションが病的で怖い。ダークなサビのメロディと歌詞がすごく好き。an example of life〜♩

7.  A flower is not a flower(1998?)
オリジナルアルバムには収録されておらず、制作年は不明。僕が聴いたのは「/05」というピアノアルバム。とても美しい曲で、ピアノ曲としてはダントツに好き。
 

8.  Happy End(1981)
YMOの「BGM」にも入っているが、もともとは「フロントライン」というシングルのB面。そう思うと「BGM」の頃の教授って全然やる気なしだな^^
「/05」というアルバムでピアノアレンジされて、そのバージョンが非常に良い。ライブでも非常に目立つ曲。何かに似てるといつも思うんだけど、何かが思い出せない。
 

9.  Merry christmas Mr.Lawrence(1983)
やはりこれは外せない。全く余談だが僕が唯一ピアノで弾ける曲^^ でもこれはピアノよりも原曲のシンセアレンジがやっぱり秀逸。独特のアンビエントがあって、実際の映画でも底知れない奥行きを与えていたと思う。
弦以外はほぼシンセだが、確かサビのメロディがグラスのサンプリング音だったっけかな。艶かしいんだよね。
 

10. 水の中のバガテル (1984)
元々はサントリーのCMで使われていた曲。かすかに覚えていたのだが、これも最近ピアノでよく弾かれるようになって、 タイトルとともに再認識した。とても切ない美メロ。
メロディだけ取り出すとそんなに複雑なメロディではないと思うけど、 やっぱり和声の付け方かな。その辺がさすが芸大出身だなと思ったりする。

そんなわけで当時のCMバージョン。コピーは仲畑貴志。

ということで見事に80年代ですが、教授ファンがよく選ぶ「トンプー」とか「千のナイフ」ってあまり好きじゃない。なんだかぎこちなくて,スムースさがないというか。色っぽくないんだよね。そういう意味で個人的には「音楽図鑑」のあたりが最も円熟したというか、僕の思う教授らしさがある。

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いよいよ終盤! 次のアルバムへの習作(7)

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全体のコンセプトはなんとなく決まっていたのだけど、ビジュアルやタイトルがどうもしっくり来ず、モヤモヤしてましたが、ようやく見えました!

アイデアを求めて本屋をうろついてたんですが(浮かばないときはこれに限る)、なかなかいい雑誌を見つけまして。Kinfolkっていうアメリカの雑誌なんですが、知ってます?

ぱっと見、何の雑誌かさっぱり分からなかったんですが、装丁のセンスの良さで思わず衝動買い。

この雑誌のタイトルは「小さな集まり」みたいな意味らしいです。 「家族や友人たちなどの身近な人たちとの時間を大切に過ごすためのアイデア」というコンセプトらしい。地味だけどいいですよね。今どきだと思う。

で、今僕がつくっているアルバムもある意味そうだなと。

タイトルをずっと「kataku」としてたんですけど、そういう風に肩肘張らなくてもいいな、と思いまして。で、思いついたタイトルが「For」。これ自体に具体的な意味はないですが、何か目的があって行動したり考えたりするときには必ず前置詞としてつく、大切なブリッジじゃないかと。

そう考えるとビジュアルもすっと肩を抜いたようなものがいいなと。それでごく普通の写真を、なんだかさりげなく配置するような、そんなのがいいんじゃないか。そんな風に考えるとしっくりきたんです。

一時、一緒にやろうしていたアーティストの方がいらっしゃったのですが、要は僕の方がブレてたんですね。お断りしちゃって本当にごめんなさい。

てなことで、収録曲の方も恐らく最後になるだろう曲もできました。

なんとなく、野に咲く花というより花屋さんの花というかな、日常の中にある花、そしてそこに飛んでくる鳥、みたいなそんなイメージ。なのですごく女子な感じですね。我ながら気に入ってます。

 
楽器は久しぶりにエレピを使ってます。エレピはLogic Proに付属のEVP88というプラグイン。セッティング次第でいい音出ますよ。
 
この後、作りきれてない展開部分を作って、ミックスへ。まだまだ先は長い・・・